サッカーだけじゃない、クラブを貫く湘南スタイル

Shonan BMWスタジアム平塚のすぐそばに、平塚共済病院がある。

400以上の病床を収める病棟に、末期がんの男性患者が入院していた。

男性のベッドはスタジアムをのぞむ公園側にある。試合日には観衆の声援が部屋まで届き、ナイトゲームでは照明が眩い光を放つ。

ベルマーレが好きだという夫は、問いかけるわけでもなく妻に言う。

「今日は勝てるかな」 

携帯サイトで試合を追いかけることができない時代だった。スタジアムから届く声援に、ふたりは耳を澄ませた。

声援のボリュームが上がったら、妻は「あら、点が決まったんじゃないの?」と夫に声をかける。試合が終わる頃に声援が聞こえてくると、妻はまた夫に問いかける。「今日はきっと勝ったわね」というひと言に、夫は嬉しそうに頷いた。

 

最愛の夫を天国に送り出した妻は、病室から見ていたスタジアムへ足を運ぶ。ボランティアスタッフに登録し、試合当日の清掃を手伝うようになった。

スタジアムへやってきて、ベルマーレのサポーターの声援を聞く。長く連れ添った伴侶の笑顔が思い出される。妻にとってのベルマーレは、喪失感を呼び覚ますものではなく、夫を感じることのできるかげがえのない場所なのだ。

サッカーが支えた命の例は、ベルマーレに限ったものではない。ただ、ベルマーレとともに生きた命の例も、ここで紹介したふたつだけではない。

大切な人を想う心と、大切な人を気遣う心が、さりげなく、それでいてしっかりと、人々の心に根付いている。

人々を元気にさせる。笑顔をひろげる。強張った空気をほぐして、あたためる。身体に貼りついていた緊張が、いつの間にか引いていく。気持ちのさざ波を落ち着かせる。

湘南ベルマーレが、そこにあるから。

 こんな一節を含むプロローグから始まるのが、先日発売された戸塚啓さんの著書「低予算でもなぜ強い?湘南ベルマーレと日本サッカーの現在地」

 

タイトルの副題にある"湘南ベルマーレと日本サッカーの現在地"からは、やや挑戦的なニュアンスも感じられる。しかし実際は、湘南ベルマーレというクラブが生まれ、存続危機を乗り越え、今に至るまでに紡いできた歴史と、ベルマーレが大切にする価値観を紹介することが主眼だ。言い換えれば、湘南ベルマーレがいわば走る実験室として時代を駆け抜けていく中で、日本サッカー界における湘南ベルマーレの立ち位置を模索した結果として、クラブが大切にするようになった価値観を提示していると言える。

 

***以下で本の内容を紹介します。ちょっと長いので、もう既に読みたくなった人は最終段落まで読み飛ばしてください***

 

この本の目次は以下の通りだ。

プロローグ
第一章 走る実験室
第二章 コンテンツとしてのサッカー
第三章 サッカーだけを教えればいいのか
第四章 「ここで仕事をしたい」と思わせる力
第五章 サッカーの現場、営業の現場
第六章 サッカークラブの「稼ぐ」力
終  章 Jリーグのサッカーは「面白い」のか?
エピローグ

低予算でもなぜ強い? 戸塚啓 | 光文社新書 | 光文社

 この本の目次を見るだけではわからないが、実は各章ごとに中心となって語る人がいる。

 

第一章は、眞壁潔会長が語る湘南ベルマーレの歴史が中心。ベルマーレの前身クラブが生まれたところからスタートして、チーム存続の危機、総合型スポーツクラブへの変身、地域貢献のあり方など、ベルマーレを取り囲む大きなストーリーが語られている。昔からベルマーレを応援している人や、何かの機会に総合型スポーツクラブに関する記事などを読んだことのある人には馴染みのある内容も多いかもしれない。最近になって興味をもった人にとっては、ベルマーレやJの理念を知るいいきっかけになるでしょう。

 

第二章「コンテンツとしてのサッカー」では、大倉智社長が「プロサッカーチームはどういう商いをしているのか。何を売っているのか。」という問いをきっかけとして、エンターテイメントとしてのサッカーのあり方を語っている。この辺りは、強化部長ではなく社長という立場だからこそ語れるものだろう。

 

我らが監督のチョウ・キジェは、第三章でチームのマネージメントの仕方や選手との向き合い方について語っている。もちろんこの章だけでも読み応えは十分なのだが、もしもっと詳しく知りたいという人がいたら、チョウ監督自身の著作『指揮官の流儀 〜直球リーダー論〜』をおすすめします。

 

第四章では、チームの強化のあり方について、強化部でテクニカルディレクターを務める田村雄三が語る。近年高卒・大卒で獲得する選手の質が向上していたり、他クラブから補強で獲得する選手がチームでうまくチームにフィットしたりと、強化部の仕事が評価されることが多い。そういった強化部の仕事はどのような考え方に基づいているのか、強化部はどういった想いをもって選手と向き合っているか、ということが実直に綴られている。個人的には、この章はかなり読み応えがあったと思う。

 

今や営業本部長としてすっかり定着した坂本紘司は、第五章でクラブの営業について具体的な数字を交えながら説明している。ユニフォームスポンサー各種の値段まで公開していて驚いた。サッカークラブの営業とはどういう仕事なのかの一端も垣間見えると同時に、営業部にも通底する湘南ベルマーレというクラブの価値観や、元選手が営業をするからこそ見える視点もあり、坂本紘司ならではの想いが語られている。

 

第六章では、前・事業本部長で現スポーツクラブ事務局長の畔柳(くろやなぎ)さんが、チケットやグッズ販売などの「稼ぐ」力について説明している。また、近年Jの中でも評価の高いフードパークについても言及がある。現在平塚の日産車体跡地にはららぽーとが建設予定なのだが、ららぽーととのコラボレーションについても様々な議論を重ねていると述べられており、今後の展開に期待したい。

 

最後に、終章ではここまで紹介した湘南ベルマーレというクラブのあり方を元に、これからのベルマーレのあり方が語られる。

 

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ということで長くなってしまったのだけど、この新書は湘南ベルマーレのサポーターのみならず、他クラブのサポーターにも是非一読してもらいたい一冊。何が正解かということではなく、自分の愛するクラブと比較し考えながら読むときっと面白いと思います。